ジェラルド・ジェンタ氏とは?

時計好きなら名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。「時計界のピカソ」と呼ばれた彼の作品はいつでも斬新で意外性があってそれなのに美しい、そんな時計をデザインする”時計職人”でした。

元々は宝飾学校を卒業後にジュエリーデザイナーとして働き始めましたが、すぐに時計デザイナーに転向。1960年代からが特に有名ですが70年代がピークと言われており、”スポーツラグジュアリー”という世界観をつくったのは彼だと言われているほどでした。

ブランド”ジェラルド・ジェンタ”とは

ジェラルド・ジェンタの前衛的なデザインが世界的に評価されたことを彼自身とても喜んでいました。自身の名を冠した会社を創業したのもそうした経緯から。1972年に創業したブランド「ジェラルド・ジェンタ」でやはり斬新な時計を次々と発表していきました。

しかし26年後の1998年には自身の名のブランドを退社。ジェラルド・チャールズという別ブランドを立ち上げています。その後ジェラルド・ジェンタはブルガリが買収。彼のDNAを受け継いだ時計造りを続けています。

時計デザイナーとは?

時計デザイナーという仕事が会社の中にあるわけではありません。ジェラルド・ジェンタでさえブルガリ・ブルガリの製作会議でこのデザインを推したときには「彼はオブザーバーだから」と割り切った意見もあったと聞きます。

とはいえ彼らの偉業によって現代に残るロイヤルオークやインヂュニアなどの名作が生まれたこともまた事実です。現代ではマーケティングデザイナーというポジションで車のデザインを手掛けていた人を雇って新しい風を吹き込もうとする流れが時計業界全体で起こっています。ジェラルド・ジェンタはその先駆者だと言えます。

スイスの水平分業体制について

しかしながらスイスの時計の生産体制は水平分業といわれており、デザイナーが手掛けることができるのはほんの一部分に過ぎませんでした。なぜなら針なら針のメーカー、ケースはケースのメーカーなどのサプライヤーで製造したものをアセンブリ、組み立てるのを時計メーカーで行う手法が主だったからです。

一つのメーカーが全ての部品をつくらなくてすみますが製造を他社に委ねることで意図が伝わり辛く、デザイナーのイメージとかけ離れてしまうこともあります。そのギャップを埋めながら消費者に好まれるデザインにまとめるというのは至難の業です。

代表モデル”ロイヤルオーク”

ジェラルドジェンタを語る上で最も欠かせないのが”ロイヤルオーク”です。1969年にデザイン事務所を開いてから最初の作品。1972年発売ですが現在でも後継モデルが続くほどの人気です。(実はSS製でありながら高価なため発表当時はあまり売れなかったそうです)

世界的なハイブランドから八角形のベゼルにビス留めのデザインは斬新で、どれだけ立体感を見せるかを考えてきた時計デザインの価値観を一変させるものでした。

代表モデル”オメガシーマスターCライン”

もう一つジェンタデザインで受け継がれ続けているのがオメガコンステレーションのCラインケースのモデルです。

ケースとラグが一体化しベゼルは低めの丸みを強調しており、まるでたまごのようなケース形状で、後にシーマスターシリーズにも採用されました。それだけでなく他社にまで影響を与え、1970年代に大流行しました。今でも1970年代のアンティーク時計市場でよくみられるケース形状になっています。

まとめ

ジェラルド・ジェンタ氏は2011年に亡くなっていますが、今でもDNAを受け継いだ作品が数多く残っています。彼の作品に影響を受けたと思われる時計は世界中に存在。つまりどのブランドにも製作が可能なデザインだったということです。

”アノニマスデザイン”という言葉があって、作者不詳で機能美を追求したら自然にこの形になったという意味ですが、ジェンタデザインも100年後にはそんな風に語られるかもしれません。